2023年12月2日(土)にキリスト教文化研究所本年度第2回研究会を開催しました。
発表者は本研究所所員の山吉裕子講師で、「死海文書におけるエルサレム神殿崩壊とその再建」というタイトルでの研究報告がなされました。
具体的には、死海文書におけるエルサレム神殿の破壊と再建に関連する箇所を分析することで、『マルコによる福音書』の神殿理解を思想史の中に位置づけようとする内容でした。
扱われた死海文書のテクストは、『フロリレギウム(詞華集)』(1:1-13)、『神殿の巻物』(4:1-2; 29:8-10)、『ダマスコ文書』(1:3-5; 4:12b-5:11; 6:11b-7:5a)、『ハバクク書ペシェル』(11:17-12:9)です。
キリスト教成立史において、ユダヤ教内部の一派(セクト)に過ぎなかったイエス派が、母体となったユダヤ教からどのように分離し、独立した「キリスト教」としての道を歩んで行ったのかという問題は、いまだ解明途上の重要課題です。
この問題を考える際にはいつでも、エルサレム第二神殿のローマによる破壊(紀元後70年)が取り上げられます。
なぜなら、この出来事がキリスト教のアイデンティティ形成に大きな役割を果たしたと考えられてきたからです。
そこで山吉講師は、まだエルサレム第二神殿が存在している時代に、神殿体制に対して批判的であったとされる集団によって執筆された「死海文書」がエルサレム神殿崩壊と再建をどのようにとらえているかを明らかにしようとしました。
それらと『マルコによる福音書』における神殿批判を比較することによって、ユダヤ教とマルコとの間の距離感をつかめるのではないかと考えたからです。
山吉講師によると、死海文書のテクストから読み取れるのは、エルサレム第一神殿はイスラエルの民の罪ゆえに崩壊したと考え、現行の第二神殿体制の腐敗、とりわけ第二神殿での祭儀の在り方を批判していること、エルサレムの聖性についてはある程度認めており、神による「神殿」の再建とそこでの祭儀に期待を寄せてもいたことです。
これに対しマルコは、新旧のユダヤ教主流派の体制を批判的に見ている点は共通していますが、異邦人であるということもあってか、死海文書とは異なり、地上の神殿やエルサレムに期待を寄せることはなく、イエスの死と復活を語ることによってイエスに救いの力があることを、すなわち復活のイエスこそが神殿であり、イスラエルの民かどうかということではなく、復活のイエスを信じるかどうかが最も肝心であると考えていたのではないか、という展望が示されました。
報告の後には、死海文書の位置づけ、マルコにおける神殿の重要性を取り上げた研究の有無、「人間は神の住まい」という考えがユダヤ教にもあったのかどうか、『マルコによる福音書』の成立時期ならびに年代確定の手法(ローマ史との関係やユダヤ教主流派との関係)などについて活発な質疑応答が交わされ、予定の2時間を大幅に超過した大変実り豊かな研究会となりました。