今回は、藤学園の設立母体である「殉教者聖ゲオルギオのフランシスコ修道会」の霊的父である聖フランシスコの精神についてご紹介します。
フランシスコは12世紀の終わり頃、イタリア中部のアシジという町に裕福な織物商人の息子として生まれました。彼が生まれた時、ジョヴァンニ(ヨハネ)という名で洗礼を授けられました。その時商用でフランスに出かけていて不在だった父親が帰ってくると、フランス好きの彼は息子をフランチェスコと呼びました。それ以来、この息子はフランチェスコと呼ばれ、騎士になることを憧れる青年になりました。
当時は町と町との戦いが絶えず繰り返されており、フランチェスコは何度も立派な装いで戦いに出かけました。隣の大きな町ペルージアとの戦いに負けて捕虜になったフランチェスコは、捕虜として囚われていた間に病気になり、家に帰ってからも療養生活をしていました。その間に、単なる世俗の騎士になることではなく、真の王であるキリストに仕える騎士になることを望むようになりました。
彼は自分のなすべきことがわからず、壊れかけた教会で祈っていた時、そこに下がっていた十字架のイエスから「行って、私の家を建て直しなさい」という声を聴きました。彼はその言葉を文字通りに解釈して、壊れかけた教会の修復を始めます。父親の店の商品までお金にして石を買い、教会を幾つも修復します。怒った父親から勘当され、フランチェスコは「天の父である神様だけを父と呼ぶ」と宣言しました。
彼はすべてを捨てて施しによる貧しい生活をし、誰からも顧みられなかったハンセン病の患者たちのお世話をし、キリストの愛を説きながら人々に回心を呼びかけました。かつては彼の遊び仲間であった青年たちが、彼の真剣な生き方に共鳴して仲間に加わり、兄弟的な生活を始めました。父である神の愛深い計らいに対する単純で絶対的な信頼が、彼の特徴です。
フランシスコは自然の中に神様の働きを見て賛美し、貧しさと謙遜をこよなく愛して人々の間に和を作り出しました。このようにして、彼は当時の教会を霊的に建て直したのです。