第10回 イングランド北東部の聖地巡礼 -英国カトリック協会の夜明け-

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第10回 イングランド北東部の聖地巡礼 -英国カトリック協会の夜明け-

本学図書館にあるLindisfarne Gospels(リンディスファーン福音書)の複製(ファクシミリ版)。
原本はアングロ?サクソンとケルトの様式を取り入れたラテン語による四福音書の装飾附き写本。その名は、写本が作られた修道院と島の名に由来し、「ケルズの書」とともにこの時代に作られた現存する三大写本の一つです。リンディスファーン島は、イングランド北東部の海岸にあります。毛織物で有名なツイード川河口に近い4?の小島でホーリー?アイランド(聖なる島)と呼ばれています。しかしながら、この福音書は現在ここにはありません。


ブリテン島は紀元43年、カレドニア(スコットランド一帯)を除きローマ帝国属領となります。島の北部はケルト人やローマ帝国から迫害を逃れて渡ってきたキリスト教徒も住んでいました。しかし帝国の衰退で3世紀にはアングロ?サクソン人による七王国時代を迎え、キリスト教徒は異教徒として迫害されます。その頃、聖パトリック等がアイルランドのケルト人布教に成功し、563年にはスコットランド西海岸アイオナ島に修道院を創設。さらに635年頃、アイオナの修道士聖エイダンがノーザンブリア王に招かれ、リンディスファーン島に修道院を建て拠点とします。こうしてこの地域にはリンディスファーンをはじめとする修道院による布教が盛んとなり多くの修道士が活躍します。

この福音書は700年頃、その一人聖カスバート(687年没)を記念して作られますが、バイキングの侵入で875年頃に遺骸とともに島を逃れ、995年に対岸のダラムに安置されます。ところが16世紀へンリー8世の宗教改革で修道院が廃止破壊され、福音書はロンドンに持ち去られます。ようやく1753年大英博物館の所蔵となり、その後1998年に開館した新しい大英図書館に移されます。地元のこの聖書に対する愛着は強く、故郷に戻したいという運動が起きていますがその数奇な運命は英国キリスト教のルーツを物語っています。


(キリスト教文化研究所所員 下田 尊久)

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